いざロマンチック街道へーノイシュバンシュタイン城、ネルトリンゲン、ローテンブルグ
オーストリアからドイツに入ったとたん風景ががらりと変わりました。
オーストリアの緑の丘陵地帯に赤や橙色のかわいい家が並んでいた風景から白と茶と黒色の家が目立つ風景に変わりました。
いかにもドイツの山村の実直な生活風景が家々の色を見てもわかりました。
ミュンヘンのホテルのリンゴに癒される
さて、ドイツ最初の宿泊地はミュンヘン。
夜になって到着したので、ミュンヘンでは街に出ることもなくホテルに宿泊しただけでした。
ミュンヘンのホテルのロビーにはリンゴが山盛りに飾られていて、なれない外国の旅で疲れた心を少しばかり癒してくれました。
客が自由に食べてよいサービスのようでしたが、その時はなんとなく気が引けて手を出せなかったのが残念でした。
いよいよロマンチック街道の旅へ
ミュンヘンを出発したツアーバスは、ノイシュバンシュタイン城(白鳥の城)に向かうと思いきや、お城までは行かず、街道の道端からから遠望しただけでした。
まあ、ツアーのパンフレットにも「遠望」と書いてあったので、「なるほど遠望なあ」と少し複雑な気分になりましたが、湖に浮かぶ白鳥のようなお城の姿を間近に見ることはかなわなかったものの、遠くから見えたその気品あふれる姿は、文句なしに素晴らしかった。
いよいよ、 一般のコースとは逆のロマンチック街道の旅が始まりました。
最初にバスが止まったところはアウグスブルグ。
そこで昼食をとったのですが、見た目はおいしそうなビーフシチューの味がしょっぱすぎてちょっと残念。
塩分摂取量の国際比較ではドイツは日本の3分の2程度なのに、なぜかしょっぱかった。これは日本のように出汁(だし)をとってうまみを引き出すようなことをしてないからしょっぱさが目立つのかなと思ったりもしました。
メルヘンチックなネルトリンゲン
ネルトリンゲン。ロマンチック街道の真ん中にある小さな町です。
トイレ休憩でバスを降りただけだったので、ゆっくり見物はできなかったのですが、そこは、一般的なドイツの田舎風の家とは違う、中世の、おとぎの国に出てくるようなオレンジ色の屋根の家が並んでいました。
町の中心部の広場を放射線状に囲む形で家が並んでいます。広場にはクリスマスマーケットの名残なのか、閉じた屋台が並んでいました。クリスマスだけではなく、休日に直売所のような形でマーケットが開かれるのかもしれません。
ネルトリンゲンは町全体が城壁で囲まれており、近年では有名なアニメ「進撃の巨人」に出てくる町のモデルではないかと言われているようですが、スタジオジブリのアニメに出てきてもおかしくないようなメルヘンチックな町でした。
ローテンブルグの大晦日のミサ、パイプオルガンの素晴らしい音色
ローテンブルグもまたメルヘンの世界のような赤い屋根の家が並んだ町です。
この町には有名な聖ヤコブ教会があります。
世界中のキリスト教徒が訪れるスペインの有名な巡礼地サンティアゴ・デ・コンポステラへの巡礼ルートにあるプロテスタント教会としてもよく知られています。
教会の建物を挟むように二つの塔が立っており、そのゴシック調の建物の美しさと、世界のオルガン奏者もあこがれるパイプオルガンの音色のすばらしさでも有名です。
私たちは幸運にも、大晦日のミサのパイプオルガンの演奏と美しいい讃美歌を聞くことができました。
夜も更けてから、暗い城壁のトンネルをくぐり教会がありそうな方向に向かおうとしたとき、町の住民らしき古老の男性に出会ったので、,
「ビッテ、 ブウオ イスト ダス ザンクト ヤコベ キルへ?(Wo ist das St.Yakobes Kirche?)」と尋ねると、
その人は嬉しそうに、よくわからないドイツ語で教会の塔の見える方向を指して教えてくれました。
「ダンケシェーン(ありがとう)」
場所は大体見当はついていたけれど、家族の前でドイツ語を喋るのをチョット見せたい気持ちもあって聞いてしまったのですが、帰国後文法書で確認したら定冠詞のダス(中性形)は間違いで本当はディー(女性形)だったので、あの人は後で笑っていたかもしれないなと冷や汗をかいた次第です。
教会の中は地元の人々だけでなく観光客風の参拝者も多く、満員状態でした。
荘厳なパイプオルガンの音が鳴り響き、厳粛な空気の中でミサは粛々と進められていきました。
かくして1990年から91年への年越しはドイツの小さな田舎町で迎えました。
元旦の朝、ホテルの窓から眺めると、赤い屋根の家々を取り巻くように城壁が連なっているメルヘンチックな風景の美しさに、朝の寒さにもかかわらず、思わず見とれていました。
ザルツブルグ・冬(ミラベル庭園)
どうして冬にザルツブルグへ?
誰でも,「ザルツブルグに行くなら音楽祭のある初夏が一番いい季節なのに」と思うでしょうね。でも仕方がなかったんです。年末にやっととれた長い休暇だったのですから、行けるだけ有難かったいうことです。
さて、ザルツブルグの有名なお城、ホーエンザルツブルグ城は小高い丘の上にあり、ザルツブルグの町を見守るように、堂々とそびえていました。観光写真でみてはいたものの、やはり実物を見ると感慨深いものがありました。
そして、アルプスの雪解け水を巻き込んで水量が増えたのか、ザルツアッハ川がごうごうと音を立ててザルツブルグの町を流れていました。多分その日は雨まじりの曇り空だったので、雨でアルプスの雪が溶けていたのかもわかりません。
冬でも花が咲き乱れているミラベル庭園
(後ろに見えるのがホーエンザルツブルグ城)
ザルツブルグの観光名所の中ではミラベル庭園が最もよく知られているのではないでしょうか。映画サウンドオブミュージックに出てきたあの公園です。
ジュリーアンドリュースが演じる家庭教師のマリアが父親の厳しいしつけでストレスのたまったトラップ家の子供たちを、野外に連れ出すシーンがありましたね。
色とりどりの花が咲いているあの公園で、子供たちはのびのびと自由を満喫し、バラのトンネルをくぐったり、帰り道には並木道の木にぶら下がってはしゃいでいたシーンが大変印象的でした。
私たちが訪れたときは真冬でしたが、撮ってきた写真を見たら、冬でも色とりどりの花が咲いていたことに気づきました。冬にも強いチロル地方に咲く花なども混じっていたのかもしれません。
夏のザルツブルグであれば、映画のようなチロルの山々の風景をもっと楽しめたのかもしれませんが、あのときは厚い冬の雲に覆われたどんよりとした風景しか見えなかったのが少し残念でした。
(夏のチロルの高原)
モーツアルトゲブルトハウス(Morzarts Geburtshaus)
1991年はモーツアルト没後200年という年で、私たちはその前年(1990年)の年末に行ったということになります。
あのとき、ウイーンのオペラ座を見物したときに、その地下にあるアルカディアという土産物店でモーツアルトのオペラの記念CDセットが売られていたので、衝動的に買ってしまいましたが、あとでそのCD集のタイトルを見て、初めてそのことを知ったというわけです。
モーツアルトの生まれた家「モーツアルトゲブルトハウス」(Morzarts Geburtshaus)もまたザルツブルグの観光名所の一つです。
どうして英語とドイツ語が混在しているような「ゲブルトハウス」と言うのか少し疑問に思いました。そもそもドイツ語で「家」は「ハウゼ」じゃなかったのかなと・・・。ドイツにアルフレッドハウゼというコンチネンタルタンゴの楽団がありますよね。
あとで調べた結果、ドイツ語の「家」はHaus(ハウス)とHause(ハウゼ)の2種類の言い方があり、どちらでもよさそうです。ただ、ハウスは「家」という単一の単語として使われ、ハウゼは"zu Hause(家へ)"というように熟語的に使われるという考え方もあるようです。どうでもよいことすが。
ドップラーの生家もあるよ
その他のザルツブルグの有名人の家と言えば、物理学の時間に出てきたドップラー効果で有名な物理学者ドップラーの生家も、ガイドさんが必ず紹介するところです。
苦手意識が強くてあまり親しめなかった物理学ですが、教科書で見たドップラーの名前が出てくるといささか感慨深いものがありました。
ちなみに妊婦さんのおなかなどを見る超音波検査器(エコー)はドップラー効果の原理を応用して作られたものです。
ウイーン・冬(2)プラター公園
ウイーンに来たらどうしても行きたかったところがプラター公園でした。
映画「第三の男」に出てきた大観覧車のある公園
1949年に公開された映画「第三の男」で出てきた、あの大きな観覧車のある公園です。
映画が公開されたころはまだ子供だったので、大人になってからテレビで見ただけですが、あの大観覧車と、バックに流れるアントン・カラスのティター(弦楽器)の音色が大変印象的で、心に残る映画の一つになっています。
世界的に有名なこの映画もティターのメロディも「第三の男」でYouTubeを検索すると沢山出てきます。
映画の内容は推理作家のグレアムグリーンが台本を書いたミステリーもので、第三の男を演じるオーソンウエルズの個性的な容姿と、ラストシーンで、大きな木が両側にそびえたつ広い並木道を主人公のアメリカ人作家が運転する車が追い越していくのを見向きもせずに、毅然とした姿勢で歩いていく女性(第三の男の恋人)の姿も大変印象的でした。
大観覧車はゆっくりゆっくり回っていた
ということでドナウ公園の帰りに(同じ系統の路面電車だった?)立ち寄ったプラター公園でしたが、公園としては格別な印象はありませんが、あの存在感のある大きな観覧車がゆっくり回っているのを確かめただけで大満足でした。
ヨーロッパの冬の風物詩「焼き栗」で身も心も温まる
そしてなによりもうれしかったのは、冬のヨーロッパでは名物の焼き栗売りが出ていたことでした。さっそく「ビッテ」と言って焼き栗を注文したところ、ドイツ語の新聞に包んで渡してくれました。
寒さにかじかんでいた手にその新聞紙の包みのぬくもりが伝わり、さっそく口に入れた焼き栗の香ばしく甘い味も加わって、何かほっとした気分になり、朝から張りつめていた神経も和らぎすっかりリラックスした気分になりました。