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旅の宿(やど)を探す楽しみとシニアライフでの遊び、学びなどをテーマに書いています。

パリ冬ーガラスのピラミッドからモナリザへ

1990年の年末からの家族旅行でオーストリア、ドイツを巡ってパリに着いたのは正月2日。翌3日は朝からパリを散策。

 

今にも雨か雪が降ってきそうな、どんよりとした曇り空の下のパリの寒さはウイーンほどではなかったが、できれば明るい太陽の下で散策したかった。

 

バリで何としても行きたかったのはルーブル美術館

 

1989年にはガラスのピラミッドが建造され、話題になっていたので、どんなものか興味深々だったし、なによりも現物を見たい美術品が沢山ありました。

ピラミッドのような三角錐のガラスの建物は、ルーブル美術館の入り口になっていました。

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その年(1991年)の1月にはアメリカがイラクを攻撃することが確実視されていた不穏な情勢のために警戒が厳重になっていたのか、いつもそうなのかは不明でしたが、ガラスのピラミッドのセキュリティゲートでは警備員がものものしく入場者の手荷物検査をやっていました。

 

私のショルダーバッグの中身を点検していた警備員の目が肩にかけていたカメラに止まり、「オー、サムライ」といって、見せてくれというジェスチャーをしています。

そのカメラは京セラが当時発売していた「サムライ」というブランドのカメラでした。なにか特別な機能があって買ったのか、デザインが面白くて買ったのか記憶が定かではありませんが、当時は気に入っていたカメラであり、遠く離れたパリでも「サムライ」が知られていたのかと少しうれしくなりました。

なんと、その警備員は「そのサムライを売ってくれないか?」とまで言ったのです。

フランス語でジェスチャー混じりで言ったのか、英語で言ったのかも覚えていませんが、「お金を払うから売ってくれ」と言っていることがよく分かりました。

何度もしつこく頼まれたけど、とにかく断わりました。旅の写真がいろいろ入っているカメラを売れるわけがないではありませんか。

冗談半分だったからかも知れなかったが、警備員は笑いながら了解してくれました。

 

セキュリティを通った後は,直ちにモナリザの展示されているドュノン翼の2階に向かいました。

 

モナリザを独占できた夢のような時間

 

モナリザが日本に来たのは1974年の4月のことです。公開された東京国立博物館には連日モナリザを一目見たいという人々が殺到したとのことです。

その時は本当に一目しか見えなかった、つまり見えてもたった5秒間ぐらいだったということが報道されていたので、ここでもモナリザを見たい人が大勢集まっているのかと思っていたところ、モナリザの前にはほとんど人はいませんでした。

まったく拍子抜けでしたが、おかげで、あの「謎のほほ笑み」と言われる笑顔をゆっくりじっくり鑑賞させてもらうことができました。その時間は5分ほど、東京で見た人たちと比べれば約60倍もの長い時間、ほぼ独占状態でモナリザを鑑賞することができました。

たまたま人が少なかっただけなのか、いつもそうなのかは知りませんが、ルーブルの目的は主にそれだったので、夢のようなひと時を過ごすことができて大満足でした。

 

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(今は写真を撮ってもよいようですが、当時は撮らないよう注意されました。)

 

その後は出張でパリを訪れたことが何度かありますが、いずれも7月の初旬、パリ祭の前後で、ちょうどバカンスも始まる頃で、街の中がなにやらウキウキしている雰囲気でした。

仕事の合間をぬって、夏の明るい日差しの下でパリの街中を散策したり、郊外に出かけたり、カフェテリア街ゆく人を眺めたりして、楽しいいひと時を過ごしました。

「パリに来るならやっぱり夏がよい」と実感しましたので、次回からは夏のパリで体験したいろいろな思い出を紹介していきたいと思います。

 

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「多言語食物アレルギー伝達シート」は日本人にも便利です

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リンク欄にある多言語食物アレルギー伝達シート東京都港区がホームページに掲載しているもので、外国人の方が自身の食物アレルギーにより食すことができない食材を伝えるために提供されているものです。

 

英語、中国語、韓国語、スペイン語の4種類が用意されており、それぞれの言語に対応した日本語がついています。

 

日本人にも役立つスグレモノです!

 

なぜなら、日本人が海外旅行をする場合にもこれを携帯しておれば、このシートを逆活用して、日本語に対応するそれぞれの言語で話すことができるからです。

もし発音がわからない場合(中国語、韓国語、スぺイン語など発音できる人の方が少ないかもしれません)でも、必要な個所を指で示すだけで相手にわかってもらえることが期待できます。

 

港区のホームページからそれぞれの言語のpdfファイルがダウンロードできます。

 

港区ホームページ/多言語食物アレルギー伝達シート (city.minato.tokyo.jp)

ハイデルベルグのビアホールで、「切り干し大根風」の何かを・・・

ハイデルベルグ古城と伝統のあるハイデルベルグ大学で有名な学問と芸術の町。かの文豪ゲーテも何度か訪れ、この町(愛人も?)を愛したことはよく知られています。

 

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ハイデルベルグのツアーでは日本人の現地ガイドさんお城薬学博物館などを案内してくれましたが、30年後の今となっては、なぜかそのガイドさんの性別が思い出せません。旅行中に男女1名づつの日本人のガイドさんが案内してくれたことは覚えているのですが。

 

さて、ハイデルベルグと言えばなぜかアルトハイデルベルヒ「学生王子」とも言われている)というドイツの古い戯曲・小説を思い浮かべるわけですが。これは、ドイツのザクセン地方にあったカールブルク公国公子(皇太子)カール・ハインリッヒハイデルベルグ大学へ遊学し、青春を謳歌した日々の生活を描いた物語です。

ハイデルベルグの酒場については、公子が友人たちとメッチェン若い女性)を追いかけ、バカ騒ぎをした様子が描かれ、その酒場のモデルではないかと言われている店もあるようです。

 

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私たちが夕食をとった酒場(ビアレストラン)がその店だったのかどうかは、よくわかりませんが、由緒がありそうな古風な大きな酒場で、大ジョッキで飲んだビールの最初の一口が旅の疲れを忘れさせてくれるほどおいしかったことは今でもよく覚えています。

 

さて、食べ物はどうかと言えば、いろいろな種類のソーセージやハムが、これでもかと出てきましたが、なぜかあまり食べる気がしなくて、何かあっさりとしたものはないかと料理の皿に目をやると、日本の切り干し大根の煮物によく似た料理が大皿に盛られているのを見つけました。思わずそれに手を出したのですが、食べてみると切り干し大根食感は似ているものの、味は全く違うキャベツの酢漬け(ザウワークラウト)でした。でも、味は悪くなく、あっさりさっぱりしていたので、どんどん箸(フォーク)が進みました。

 

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そんなわけでドイツの料理については、ロマンチック街道のどこかのレストランで食べた見た目はおいしそうだけど味がしょっぱいだけのビーフシチュー香草の匂いのきついサラダ油っぽいソーセージやハムなどの印象しか残っていません。

 

翌日の自由行動時のランチでは、魚のマークの店を街中でみつけたので、そこでフィッシュアンドチップス小エビのから揚げを注文し、おいしくいただきましたが、これはどうもドイツ料理ではなさそうでした。

 

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